戦前戦後を通して「品質第一」を貫いてきた、県内最大級の酒造メーカー
千福(せんぷく) 株式会社三宅本店
『千福』はこんな酒
「千福」でお馴染みの株式会社三宅本店は、中四国・九州エリアで最大級の規模を誇る酒造メーカー。
戦前にその品質の高さから旧海軍の全基地に納入され、それを足がかりに全国に展開する。
呉の大空襲で灰燼に帰し、その後復興を果たした蔵を支えてきたのは、戦前から受け継がれてきた品質第一の精神。
酒に対する深い見識を持った専門家と認められる、酒類総合研究所の「清酒の官能評価分析における専門評価者」の第1号に技術室のスタッフが認定されるなど、その精神は現在にも受け継がれている。
全国ブランド「千福」を育んできたのは、妥協を許さない品質へのこだわり

■ 千福 銘柄ラベル
中四国・九州で最大級の規模を誇る、株式会社三宅本店。「千福」のブランド名でお馴染みの酒造メーカーです。
「千福一杯いかがです♪」というサトーハチロー作詞のCMをはじめ、手塚治虫や岡本太郎など、そうそうたるメンバーが広告作りに携わり、その知名度を全国に広げました。
千福は、三宅本店が清酒酒造を始めた同じ年に市政が施行された、地元呉市の歴史と共に歩んできたと言えるでしょう
呉は、終戦まで海軍の軍港、造船所として栄え、戦艦大和も呉で建造されました。

■ 見学ルートには歴史のある様々な展示物が飾られる
千福が一気に成長する契機ときっかけとなったのは、旧海軍のお膝元にある蔵元の酒として、練習航海に出る軍艦「浅間」に積載された時のこと。
千福の清酒は、赤道直下を航行する過酷な条件下でも220日間、品質・味が変わらなかったという信用を勝ち取り、全海軍基地に納入されることになります。
その結果、一時期は中国の青島、旧満州(現在の中国東北部)にも工場を構えるようにもなり、日本最大規模の酒造メーカーへと発展しました。
ところが、昭和20年の呉の大空襲で兵器の製造設備と間違えられた蔵元は、社屋や工場のほとんどが空襲で焼失。
戦後ゼロからのスタートを余儀なくされ、必死の復興が続きましたが、再建は昭和40年代までかかったのです。
そんな千福のお酒を語る上でキーとなるのが、常にクオリティを優先する姿勢。
全社員の胸のバッジには「品質第一を徹底し、お客様の信頼と満足を得ます」という目標が掲げられています。

■ >企画開発部部長 武田 正和氏
企画開発部部長の武田さんは「“親が飲んでいたから自然に千福を飲んでる”と言ってくださるお客様もいますが、だからこそ、日常酒という世界で足場をきっちりと固めたい」と主役となる日常酒への思い入れを語ってくださいました。
日常酒のイメージが強い千福のお酒ですが、『大吟醸 王者』が、2008年のモンドセレクションで5年連続金賞受賞を達成するなど、高級酒についてもその品質が高く評価されています。
品質第一の千福の味をチェックしているのは、確かな舌と日本酒の知識を持つスタッフ。
そのお酒に対する深い見識を裏付けるように、2008年、お酒の検査や分析、開発研究を担当する技術室のスタッフが、独立行政法人酒類総合研究所より、「清酒の官能評価分析における専門評価者」の第1号に認定されました。
全国でまだ11人しか認定されていない、酒の造りに関する知識や官能試験のエキスパートが、千福のクオリティを守っています。
蔵元より一言 企画開発部部長 武田 正和氏